特別支援教育

 

 

もうすぐ毎年恒例のなかよし発表会。

いつも楽しみだ。

 

娘やフレンズのお友だちが、普段の勉強で蓄えてきた力を発揮する場の1つ。

にこにこ笑顔や、のびのびと表現している姿をみると嬉しいし、

普段なかなか会うことができないお友だちの成長を感じ、

新しい一面を見ることが楽しい。

うちの娘も成長するとこんな事が出来る様になるかなと、未来を想像する事も・・・。

 

教育のすばらしさもこんな時に、実感できる。

 

数年前、「みんなでつくる発表会」を観た時の話だ。

「これが、特別支援教育なのだ。」とはっきり気づいたことがあった。

 

そのお子さんは中学生。

発語が少ない様子で、セリフというと画用紙にマジックで大きく「○」を書くことで表現していた。

たしかどこかの郷土お菓子でクレープの様なお菓子作りのお店の劇だった。

そこの看板娘という役。

クレープを上手に焼いてみせた。

学習の積み重ねが想像できた。

セリフで質問を投げかけられると、「イエス」の気持ちを、マジックで大きく「○」と書き表す。

その間合いがとてもよく、和やかな雰囲気に会場が包まれた。

私はその優しい雰囲気が好きだしステキだと思った。

 

劇というと「セリフが飛び交うイメージ」をしがちだが、

彼女は今できる事で劇に参加したのだ。

『これで、いいんだよなぁ』

その子にできる事でその子にあったやり方で、人とつながっていけば・・・。

そう思った。

 

先日のサポーター養成講座で島根大学の原教授の講演の中でも、

「できることに、こしたことは無い・・・

   けれど、できなくてもいいじゃない、助け合っていけば。」

「できないことは、魅力的なこと(人との関わりが実質的に密になる)」

「できる・できないに、優劣は無い。」


これが、「特別支援教育」の基本なんじゃないかなと思う。

 

私がお世話になっている先生も言っておられたが、

「特別」と頭につけずに、

「支援教育」と云えば通じる社会になればいいなと思う。

 

これらは「特別」な事ではなく、誰もが当てはまること。

誰もが支えられて生きているんですもの・・・。(201111月)

 

全てを分かったような口ぶりで、少々恥ずかしいですが、

こんなふうに考えないと、なっこの存在が否定されるようで、嫌なのです。

 

 

 

 

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コメント: 1
  • #1

    sex tel (金曜日, 03 11月 2017 20:49)

    wtórnouste