2013年
12月
16日
月
特別支援教育
もうすぐ毎年恒例のなかよし発表会。
いつも楽しみだ。
娘やフレンズのお友だちが、普段の勉強で蓄えてきた力を発揮する場の1つ。
にこにこ笑顔や、のびのびと表現している姿をみると嬉しいし、
普段なかなか会うことができないお友だちの成長を感じ、
新しい一面を見ることが楽しい。
うちの娘も成長するとこんな事が出来る様になるかなと、未来を想像する事も・・・。
教育のすばらしさもこんな時に、実感できる。
数年前、「みんなでつくる発表会」を観た時の話だ。
「これが、特別支援教育なのだ。」とはっきり気づいたことがあった。
そのお子さんは中学生。
発語が少ない様子で、セリフというと画用紙にマジックで大きく「○」を書くことで表現していた。
たしかどこかの郷土お菓子でクレープの様なお菓子作りのお店の劇だった。
そこの看板娘という役。
クレープを上手に焼いてみせた。
学習の積み重ねが想像できた。
セリフで質問を投げかけられると、「イエス」の気持ちを、マジックで大きく「○」と書き表す。
その間合いがとてもよく、和やかな雰囲気に会場が包まれた。
私はその優しい雰囲気が好きだしステキだと思った。
劇というと「セリフが飛び交うイメージ」をしがちだが、
彼女は今できる事で劇に参加したのだ。
『これで、いいんだよなぁ』
その子にできる事でその子にあったやり方で、人とつながっていけば・・・。
そう思った。
先日のサポーター養成講座で島根大学の原教授の講演の中でも、
「できることに、こしたことは無い・・・
けれど、できなくてもいいじゃない、助け合っていけば。」
「できないことは、魅力的なこと(人との関わりが実質的に密になる)」
「できる・できないに、優劣は無い。」
これが、「特別支援教育」の基本なんじゃないかなと思う。
私がお世話になっている先生も言っておられたが、
「特別」と頭につけずに、
「支援教育」と云えば通じる社会になればいいなと思う。
これらは「特別」な事ではなく、誰もが当てはまること。
誰もが支えられて生きているんですもの・・・。(2011・11月)
全てを分かったような口ぶりで、少々恥ずかしいですが、
こんなふうに考えないと、なっこの存在が否定されるようで、嫌なのです。